ほっとけさん

変換 ~ 写真 001夏の暑さの中に、緑を見るとホッとします。お盆も終わりちょっと気がかりなことがあります。

石屋を手伝い始めた頃は、梅雨の初め頃からお盆前までは、ネコの手も借りたいくらい忙しかったのですが、この頃は、さほど忙しくないのです。お盆という行事が、生きている人にとってあまり意味を持たないようになったのかな?と、気がかりです。間違っているとか、悪いと言っているわけではないのですが、新しいお墓を建てる依頼も、お亡くなりになってから数年建っていたり、お墓に文字を彫る方も2~3人まとまっていたりが多くなりました。また、暑いときを避けてと言うご依頼も有ります。お施主様のお考えや、お気持ち、お費用の段取りなど様々なことがあるので、一概には言えませんが、人の物の考えたかたが、ここ数年で大きく変わってきたのだと思います。もちろん、生きている人を優先にすることを、お亡くなりになったご先祖様がお怒りになるわけはないと思いますが、子どもの頃、祖母がお盆前の仏具の掃除をっしながら、「仏さんをほっとけさんにしたらいかんでぇ~」と、言っていた言葉が浮かびます。石屋は、人の最終のおしまいの部分に関わる仕事だけに、生きている人優先が、何処までいくのだろうと気になります。しわくせきざいHP

コメント

  1. まほろば より:

     少し前まではおうちに祖父や祖母がいて、その背中を見て子供が育ったもんです。それが・・核家族化でおばあちゃんがいないもので、その背中を見ることがなくなった・・。 お仏壇も同じことです。お仏壇のない家庭から感謝も礼拝も信仰も育たない。お仏壇にお参りしないのだから、お墓参りも当然しない・・・。祖先というものが身近にいないのだからお盆なんて関係ない。お盆休みは「夏休み」でしかないんだ・・・。 「お念仏を子や孫に・・・」というご本山の指導方針だけれど、お仏壇がなければ何も始まらない・・・。 どうしたもんだろうか・・・。

  2. しわく より:

    まほろばさん>「お念仏を子や孫に・・・」と言うことは、難しい時代かもしれませんね。何時のころからか、宗教や仏事がセレモニーとなって、行為の先にある本来の意味を誰も語らなくなったことに問題があるような気がします。そもそも、日本人が見えないものを信じる心を失くした所から、日本社会の崩壊が始まり、薄っぺらな人間が、多くなったよう気がします。ただ、妖怪・お化けの研究家の水木茂さんの家庭を題材にしたドラマが毎朝放送されたり、パワースポットとか、オーラとかが、話題になっていたりとかで、この頃世の中の流れが少し変わってきたのかな?て気もします。目には見えないけど、どこにでも神様・仏様がちゃんといるのだから、自分の心に恥じない行動をいつでもしなさい、と、祖母にしつけられましたし、その頃は多くの大人が、恥を知っていたと思います。一見、窮屈なものの考え方のようですが、こういう物の考え方が、人々の心を豊かにしていたのかな?とも思います。

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