ブログの更新が、遅れてすみません。日曜日の夕方、自宅に帰った私に娘が、「おかあさん、○○のおばあちゃんから電話かけてと、電話あったでぇ~」手荷物を置くのもそこそこに、実家に電話をかけてみると、
母から伯母が、心筋梗塞で亡くなったと知らされました。朝方、胸が苦しいと言う伯母をいとこが救急車で総合病院に運びこみ、夕方近くには、息子と娘に手を握られて旅立って行ったと知らされました。夜になって伯母の自宅に母と一緒に向かいました。伯母は生前、 「若い者の手をわずらわすことなく、旅立ちたい」 「葬式は簡素で、お金をかけないように」 「知らすのは、身内程度」と、いとこに伝えていたそうです。この世でのお役目を終えて、天寿を全うした伯母のお葬式は、亡くなった祖母が言っていた「葬祭は孫、子の正月」そのものでした。三十数年ぶりに会う、遠方に住むいとこと、「こんな機会でもないと、会えないね」と言いながら、昔ばなしに花が咲きました。初めて会ういとこの子どもたちや、いとこの嫁ぎ先のご親戚とも言葉を交わしました。「長患いせずに行けたし、若い者にオシモの世話もさせずにいけて、 ええお参りやぁ・・・・」と、年長者の方々が口々に話されていました。いとこたちは「子孝行の親やろぉ~~」と話しました。長男が喪主となり、伯母の思い通りのお通夜・お葬式が終わりました。引きあげた初七日で、「誠に気持ちのいいお葬式をさせていただけました。」と、喪主のいとこが挨拶しました。伯母は、身体を捨てて魂になって、身軽になれた。もう、あそこが痛い、ここが痛いと、身体があるから感じる痛みからも解放されて、楽になったし、魂という永遠の命を生きるのだからと、分かっていても、私の耳が伯母の声を聞くことはもう無いと思うと、やはり寂しい・・・・・・。塩飽石材HP
コメント
悲しいお話だけど、、、なんだか、しあわせな最期だナァ~と...《なんて、いいかたは、不謹慎でしょうか?ごめんなさい》天寿を、全うして、こんな最期を、迎えるために、人は、いきてゆくんですよね。‘実を入れて、一生懸命、生きて行くと、必ずしあわせな最期を、迎えられます...’、つかれた時、足を運ぶ、治療院の先生が、言われた言葉です~~~しわくさんの、このお話しを、読んで、シミジミ。。。
KiKiさん、ご丁寧ありがとうございます。人それぞれで、色んなご意見があると思うのですが、私は、身体は無くなっても、魂は永遠にあるだろうと、思ってるんです。で、しあわせな最後を向かえれれるてことは、行った人の魂にも、おくる側の人の魂にとっても、大切なことのような気がします。