8月のお盆も近いことですので、石屋の立場から言う良いお墓について書いてみようと思います。今日、この一年間で新しく建てたお墓・移転したお墓・リフォームしたお墓のお参りに行ってきました。お参りといってもお線香を上げて、お墓全体を見て変わった様子や壊れているパーツが無いかの確認ということにウェートを置いたお参りなのですが、今日伺ったお墓は、何事も無く一安心しました。うちは、お施主様の立場に立ったお墓を建てることが一番大事と考えているので、線香立てがお線香のやわらかい灰で汚れていたり、まだ、色の残っているお花が上がっていたりするとホッとします。これは何故かと言うと、お墓を建てさせていただいたお家の方がお墓を建てた後も、折に触れてお墓参りをなさっているという証なのです。バブル期に高額なお墓をお建てしたことがあるのですが、そのお墓、何時うかがってもお参りした形跡が無いのです。お墓は、人が手を合わせてお参りすることで、石塔になると思います。人が手を合わせてくれないお墓は、やはり寂しいです。
お墓を建てるには、お代金が発生します。石の銘柄によってお墓の金額は雲泥の差があることも確かです。ですが、高額なお墓を建てたことで、お施主様が安心してしまいお参りしないのは、お墓もお墓のお世話したうちも寂しいです。だから、お墓に行ってお施主様がお墓参りをなさっているのが分かると、お家のお墓としてちゃんとお役目を果たせていると、嬉しくなります。この頃、やっと気がついたのですが、お墓が新しいか古いかとか、お墓を作るのに使ったお金の多い少ないとかは、良いお墓とは、どうも関係が無いようです。それから、石屋はお墓をお建てすることは出来ますが、そのお墓を石塔にするためには、そのお家の方がお参りなさることが必要です。なかなかお参りに行けていない皆様も、このお盆には時間を作ってお墓参りにおいでてください。どうしても行けない方は、お墓の方向に向かって手を合わせてみてください。自分がこの世に生まれて来るためには、数え切れないくらいたくさんの、ご先祖様が居たのです。その方たちに感謝することは、心豊かに生きることにつながると、私は思うのです。塩飽石材HP
コメント
お墓は、縁の時期が来ていないと、建てようと思っても建てられないきがします。ですので、縁談と同じだなぁ~と、思ったりもします。時期が来ていると、スムーズにことが運びます。拍手、感謝です。
縁談か・・・。さすがにうまいことを言うなぁと・・・思った。確かに縁がないとお墓は建てない。親が元気なのにお墓を建てたらしかられるし、関係のない叔父さんのお墓は建てない・・・。 縁があるから物事は生まれ、成就するんだ・・。なるほどなぁと思ったので・・・一拍手した。 お金があっても・・・暇があっても・・・親が亡くなっても・・・縁がなければ・・・お墓は建てないと思う。こころの中に・・・・縁という芽が生まれ・・・その芽が育ってお墓になるのだと思う・・・。 今度のご法話でつかわせていただきます。合掌。じゃぁ。
まほろばさん、お忙しいところありがとうございます。今年の夏は、去年より暑さが厳しいですね。ご縁は、元々あるものか?いえ、つなぐものか?とか、いろいろ思いますが、見えないご縁の糸で、つながっている気がします。でも、その糸も手繰り寄せないと、先が誰と、繋がっているか、何があるのか、見えてこないような気がします。すべて、自分しだいのような気がします。”袖すり合うも他生の縁””類は友を呼ぶ”昔から伝わることわざは、確信をついていると思う、今日この頃です。それから、拍手いただいた皆さま、ありがとうございます。今日、このご縁に感謝です。
>なかなかお参りに行けていない皆様も、なんだか、とても心苦しい思いが、あるのです。でも、しわくさんの言われるように、手を、合わせて、感謝してます。家族は、その方角に、<両親、義父の眠るところにむかって>..ちょっと、炊き立てのご飯と、お水を<ほんとは、お茶でしょうか?>上げていつも、感謝の気持ちを、あらわしています。しわくさん、まほろばさんの、おっしゃることは、いつも、学習させてもらえて、ほんまに、ありがたいですぅ。。。
KiKiさん、いつも、コメントありがとうございます。私は、まだ行ったことがないので?ですが、想いはちゃんと通じると思いますので、KiKiさんの、想いも通じてると思います。目には見えませんが、想うこと、願うことが大切な場合もあるような気がします。
拍手感謝です。暑さに参りそうな毎日に、元気をいただきました。[絵文字:e-68]