昨夜、旦那さんは和歌山のお得意さまへ、製品の今年最後の納品で留守。で、晩ご飯は息子の好きなカツ丼にしました。腹ペコの子ども達の食欲が、おさまった頃に、「二宮忠八て、知ってる?」と、聞いてみました。
娘 「二宮忠八?それ誰?」しわく心の声『あぁ~、やはり、我が家にも10人中9人の一人が・・・』息子 「俺、知ってるでぇ~」しわく「どっ、どこで、知ったの?学校で、習ったの?」しわく心の声『居ました!居ました!十人中の一人がここに!』息子 「どこでぇ~、言うたって、知っとるもんは、知っとるんや!」娘 「学校では、習ってないと思うけど、 どうしてアンタ(弟)が知っとるん?」しわく「二宮忠八さん言うたら、ライト兄弟の10年も前に 有人飛行に成功した、丸亀にかかわりのある人なんやぁ~。 東中《子どもが通っていた中学》に、石の記念碑あったやろ!」娘 「記念碑!?そんなもん、あったぁ~~?」しわく心の声『石屋の娘が、石の記念碑に、気づかずどうするん!』息子 「そうやぁ~。自転車置き場に近くにあったやろ!」この姉弟、物事良く見てるのは弟の方。よく言えば、癒し系、違う言い方をすれば天然の姉。この天然娘がいるから、和むのですが、父と母と弟の、気がかりと言えば、気がかりなんです。最後になりましたが、写真は、二宮忠八翁の顕彰碑です。
コメント
忠八さんは・・・想像しただけというか、設計図を描いただけで・・・誰にも相手にされずに・・飛行機にはならなかった・・・という伝説ですが、丸亀で・・・有人飛行をやったのですか?? それは・・・疑問というか・・。
まほろばさん、ワザワザのお越し有難うございます。で、彼の作ったのは『飛行機』ではなく『飛行器』のようです。ただ、協力者が入れば、飛行機は、作れていたように思います。偶然にも1月の丸亀の広報誌に二宮忠八翁の話が載っておりましたので『続・続 二宮忠八』の所に、一部載せておりますので、読んでみた下さい。(お辞儀)