十王の初江王のこと考えていたら、化身である釈迦如来つながりで、興福寺の阿修羅像が浮かんできた。
あの「憂い顔」には、いつも魅了される。去年の奈良旅行のUPの時、書いたかもしれないけれど、阿修羅は元々は、神々の王・帝釈天(たいしゃくてん)仕えていたそうな。阿修羅には、シャチーという名前の美しい娘がおり、その娘をこともあろうに帝釈天が誘拐し、力ずくで無理やり凌辱したというのです。阿修羅は怒り、勝つ可能性などは無きに等しいことも分かっていながら、帝釈天に戦いを挑みました。やはり、予想通り敗戦に次ぐ敗戦です。しかし、阿修羅は負けても負けても、何度でも戦いを挑み続け、結局、阿修羅は天界を追われ、六道「修羅道」の主となったのです。さて、娘のシャチーはどうなったかと言いますと、なんと帝釈天の「正妻」におさまっていました。このこと聞いた時の阿修羅さんの気持ちを思うと、ちょっと切なくなりますが、阿修羅は元は「ASURA」、「SURA」は天を意味し、「A」は否定語ですので、非天ということになり、その名の通り「堕天使」と言う事だそうです。のちに阿修羅さんは釈迦に帰依して善神に転じ、仏法を守る八部衆となりますが、怒り狂った阿修羅さんの気持ち、子を持つ親として分からなくもない。そして、娘の変わり身の早さは、娘を持つ親として何処も同じと実感できる。(ふぅ~・・・)しわくせきざいHP
コメント
しわくさんの最後のため息。実はそれがこの記事が生まれたポイント???仏教にはまったく詳しくないので、楽しみに読んでいます。阿修羅の3つのお顔が、現在・過去・未来に見えたり、憂いと怒りと無に見えたり、不思議な像です。
でびぃさん、わかりましたか(汗)今月はうちの娘の誕生月で、思うことありで、↑となりました。(あはは)石屋を手伝って20年過ぎました。やはり、門前の小僧なんとやらで、いろんなことが、耳から入っていたようです。