↑うちのなんちゃって畑に実ったかぼちゃです。頂いた3本の苗は、種類が違っていたらしくて違う種類のかぼちゃがなりました。
一番大きなかぼちゃを切って、13日のお盆の施餓鬼にしました。ちなみに、施餓鬼(せがき)とは「餓鬼に施す」と読めることからも分かるように、六道輪廻の世界にある凡夫の中でも、死後に特に餓鬼道に堕ちた衆生のために食べ物を布施し、その霊を供養する儀礼を指すことだそうです。私の実家は真宗だからか、地域性なのか施餓鬼をしている家は皆無に近い状態だったので始めて島で向かえた13日の早朝のお墓参りの時に、こういう風習があることを知りました。当時はどのお墓にも、施餓鬼の供物が供えられていたけど、今年は綺麗なお花は供えれていても、施餓鬼の供物を供えてあるお墓は少くなっていました。うちも、施餓鬼のお供物お供えするのは何年ぶりかだから、えらそうな事はいえないのだけど、島内を出て、丸亀市内で住む人が多くなったことで、島のお盆の風景もかなり変わってきているようです。施餓鬼の洗い米とみじん切りのかぼちゃは、蓮の葉かサトイモの葉にのせるお供えしていたけど、うちには無いので「おゆるしください」とお断わりしてお供えしました。なので、来年はサトイモ植えると張り切っていた人がいましたが、この言葉を忘れずに植えてくれることを、期待しておこう!(笑)しわくせきざいHP
コメント
仏教のことばが、とてもよくわかるようになりました。しわくさんの、解説は、とても、わかりやすいですね。‘おせがき’も子供のころ、耳にしていた用語、、、深い意味など、気にも留めなかった言葉...この年で、こんなに、身近なところで、理解できるとは...ありがたいです。
KiKiさん、聞きかじりしたことを、書いているだけですので、間違っている事もあると思いますが、その時は皆様またお教え願います。ちなみに、お供えと言うと、お水とか、お菓子・果物・お花とか思うのですが、お線香もおロウソクもお供物になるそうです。私も、50を過ぎてから、仏様にとってのお線香、おロウソクのお光りの重要さをある方のお話から実感しました。恥ずかしながら、学ぶ事が多すぎる日々を相変わらず過ごしています。