お昼休みに、図書館に行きました。図書館には車で行ったので、近くの市営の地下駐車場に車を止めました。図書館側の出口には、エレベーターが無いので、階段を登って外に出るのですが、中ほどにある踊り場に、ダンボールを敷いて一人の浮浪者が体を丸めて横になっていました。まさか人がいるとは思ってもいなかったので、かなり驚きました。
その人を見かけて、私が子どもの頃『ヘンドのつねヤン』と呼ばれていた人のことを思い出しました。『ヘンド』と言う言葉の正しい意味は分からないのですが多分『物乞い』と言う意味合いで使われていたと思います。つねヤンは性格が大人しい人だったようで、へんどしながら、ひっそりと町で暮らしていたようです。容貌と言えば、頭には日本手ぬぐいでほっかむりをし、ボロを身にまとい、棒の先に小さな風呂敷づつみをぶら下げ肩に担いで、歩いていたと思います。ほっかむりをしているので、はっきりと顔を見た人は少ないと思うのですが、その風貌から、町ではつねヤンの事を知らない人はいませんでした。話は変わるのですが、昭和の時代のお葬式は、自宅でする家がほとんどで、近所の人がお葬式の出来た家を助けていました。そして、つねヤンは、どこから聞きつけるのか、お葬式のある家に必ず現れて、お葬式の煮しめや香川の郷土料理のばら寿司を貰うのです。私の祖父が亡くなった時も、まかないの責任者を任された近所のおばちゃんが『つねヤン来るから、お寿司折り箱に詰めといてあげてやぁ~』と言っていたのを聞いた記憶があります。そして、つねヤンが来たとき、叔父が折り箱と小銭を渡していました。うちの家が葬式と縁遠くなり、つねヤンの姿を町で見かけることも無くなった頃、つねヤンが亡くなったと風のうわさで聞きました。その頃、お葬式の出来た家が、つねヤンに渡していたご馳走の詰まった折り詰めや小銭は、亡くなった人への善行であり、供養の気持ちだったのではと、今になって、やっと気が付きました。
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